「露組ねっと」とは?
「露組ねっと」(ろぐみねっと)。
時は1993年(ころ?)、日本のアマチュア無線界ではパケット通信なるものが大流行していた。
今でこそ「インターネット」「高速回線」だが、当時はアマチュア無線機とパソコンを接続し、1200bpsという通信速度で文字だけの通信を行っていたのである。
同時に、パソコンと電話線をつないだ「パソコン通信」が流行っていたのもこの頃である。
そんな時代、新潟県長岡市のBBS(電子掲示板)を賑わしている何人かのアクティブなアマチュア無線家がいた。
彼らは皆長岡市より北に住んでいるため、「北の脅威」=「露西亜」→「露組」と呼ばれるようになる。
ちなみに「露組」の名付け親は旧越路町の某OMである。
そんなアクティブな一人である旧見附市のJF0GQGがTNCの簡易BBS機能を使い、「露組ねっと」を立ち上げた。
さらに三条市のJR0JMS、旧妙高村のJR0GFM、そして旧豊栄市のJH0RNNへとそれぞれTNCの簡易BBS機能と転送機能を使い、新潟県をカバーするパケット通信網ができ上がったのである。
夜な夜な書き込まれる密度の高い書き込みが、深夜になると上越(JR0GFM)、中越(JF0GQG、JR0JMS)、下越(JH0RNN)へと転送される様はまさに圧巻であった。
書き込み量があまりにも増えたため、TNCのメモリをも増設したほどである。
露組ネットの残した功績として代表的なものが伝説の「’94佐渡移動」である。
1.9MHzから430MHzまでの周波数帯をカバーし、#JCG08006佐渡郡とIOTA AS-117をサービスした。
また翌年’95年には島根県隠岐島にまで進出し、大移動運用を行っている。